 
昔からある地形を活かすと、
人が活きる。
私は東京の下町で生まれ育ち、近所のうるさいおじさんやおばさんの目を気にしながら、いたずらばかりをしていた少年であった。今でも覚えている武勇伝は、お寺のお供え物を入れておく木製バスケットに火をつけて、焚き火の雰囲気を味わっていたら、遠くで消防車のサイレンが聞こえてきたことだ。
「どこかで火事なのか?」と、子どもながらに心配して道路に出てみたら、私の前にはしご車が止まり、ようやく私が原因だったことを理解した。銀の防火服とヘルメットに身を包んでいた消防士に、必死に母が誤っていた姿は今でも鮮明な記憶である。 30年近くも前でも、スポーツタイプの車は下町でも目を引いた。ブルーのスカイラインであっただろうか。新品の車が放つ光沢はとてもきれいでった。そういうのを見ると、どうしても乗りたくなったのであろう、さすがに土足じゃ悪いと思って靴下のままボンネットに飛び乗り、ゆらしてみた。結構楽しかったことは覚えているのだが、その後の記憶は必死に母が警察に誤っている姿なのである。
こうして様々な冒険を繰り返しながらも、親戚一同を巻き込むような大イベントはなく、それなりに常識をもった大人になれたのは、ひとえに幼いころの原体験があったからだと思う。 これらの原体験というのは、両親だけでなく、下町の大人やもちろん消防士や警官の温かい視線が刻んだ、私の歴史だと思っている。
そしてこういう体験がなければ、人間の良さや悪さを理解できなかったのではないだろうか。 良さ悪さは、往々にして知ること自体に痛みを伴うこともあると思う。「知らなきゃいいこと」は、大人になればなるほど多くなるのだから、できればそういうことを原体験として刻めるような幼い時がよかろうと思う。そのほうが後で幸せでもある。 最近、都会の大人たちが田舎で暮らそうと、地方に流れる傾向がある。農業をやったり、ボランティアやったり。さまざまな媒体で、生活の充実ぶりが本人のコメント付きで見ることができる。その実態は分からないが、一つだけ言えることは「知らない土地は気をつけろ」ということである。
見も知らない土地の情報だけで魅力を感じ、そこに住んだとしても想像とは全く違うことはよくある話だ。これは都会生活にどっぷりとつかっている人が「こうあってほしい」と願う気持ちが、同じ情報でも好意的に、自分に都合のよいように解釈する傾向があるからだと思う。ましてや老後の土地として選んだ場所が、全然違うとなったら最後の人生がかなり悲惨だ。
そうならないためにも土地に馴染む術が必要だ。しかしこれは、ある種天性のようなもので、それこそ幼児期の体験が重要だと思っている。都会の大人が本当の意味で、楽しい老後を迎えられるようにするのは、天性に頼らず、現役のうちにショートステイするべきである。その時の受けた感動や感覚を大切にして、リタイア後の生活を思いめぐらせればいいであろう。いそぐなかれ、まずは訪れよ。そして体験する。そうじゃないと、その土地に失礼かもしれない。
文/松嶋範行
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