 
マチをゲンキにする本物の普通を提供せよ
人間同士の付き合いには、自分の欲望の投影を相手に見る傾向がある。自分がこうしたいな、と思っていることを、相手も同じように思っていると錯覚することである。しかしこの錯覚や思いこみは、時として真実を見逃す絶好の機会になるかもしれない。
今年の正月、昔から渋谷に住む知人女性が長崎を訪れた。いわゆる「アラフォー」で、可処分所得も時間も比較的余裕のある人だ。女同士の気楽な旅の後、感動を伝えるためにわざわざ私に会いに来た。「マチはちょっと残念だったかも。でも、すごいファンになっちゃった。」
コンビニも渋谷の街のようにはなかったし、歩く人もほとんどいないし自販機も無かった。予習のためにインターネットで検索しても、情報が見つからなかったから、ガイド本を片手に隠れキリシタンと教会群について実地で深く勉強したそうだ。
長崎を観光でゲンキにしたいと、そう思っている人が、彼女のコメントだけを読んだらどうするか?コンビニを作り、賑わいを演出して自販機も設置。シブヤの都会と同じ風に、いろいろ取りそろえる。インターネットの情報も整備する。準備万端、いつでもお待ちしておりますといって、真のリピーターを失うのだ。
中央に今不足しているのは、日本人のDNAである。ごく当たり前の日常を、そのまま提供するだけで、中央で疲れた心は十分癒されるのだ。飾りもいらないし、演出もいらない。必要なのは「本物の普通」だけだ。彼女はこうも言っていた。
「人を呼び込もうという、ぎらぎら感が無くって。ちょっというとやる気がなかった感かも。でも、そ・こ・が、むしろよかった。福江島また行きたい。」
地方が考える中央の求めているモノは、地方にいてはまず見えてこないような、当たり前すぎる日常なのだ。それをいかに発掘し提供していくか?地方は中央を見るのではなく、目の前のお膳を、よぉ〜く見直してみることから始めるのが、いいのかもしれない。
文/松嶋範行
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